2013年6月4日火曜日

シャーロック・ホームズの推理と診断学

シャーロック・ホームズの推理を語る上で欠かせないのが、Charles Sanders Peirceが、演繹(deduction)、帰納(induction)に対する第三の思考法として用いたアブダクション(abduction)である。「仮説的推論」と訳されるこの語は、時事的には「拉致」、解剖学用語としては、「外転」の意味も有するが、共通点は、接頭辞AB-が意味する所の「離すこと」である。母国から離なして外国へ、体の中心から離して外側へ、後件(症状や犯罪)から離して前件(疾患や犯人)へ、ということである。つまり、思考法としては、因果律の反対の方向へ、後件肯定という論理学的な誤謬を使って推論する。故に、導かれた仮説は十分に因果を検証する必要がある。電池が切れていれば、懐中電灯はつかない。けれども、懐中電灯がつかないからといって、電池が切れているとは断言できない。電池がないことを確認しなければならないのである。つまり、この後件から得られた仮説とその検証の組み合わせこそが、アブダクションの本体である。だから、風邪の所見のないものに、風邪ですとは、言ってはいけないのである。

では、診断において、いかに検証すべき仮説のリストを生成するか、原則をシャーロック・ホームズが語っている。
One should always look for a possible alternative and provide against it. It is the first rule of criminal investigation. "Black Peter"
つまり、はなから診断を決めつけるのではなくて絶えず代替案を準備しておけということである。
ICD-10のコードのついている疾患をすべて想起して、除外していけば確実なはずなのだが、時間や費用がかかりすぎる。対極にあるのが、臨床的勘である。敢えて言語化すると、待合室での音声情報(話し声や咳)、入室時の足取り、挨拶の声や表情、着席までの機敏さなどに始まり、主訴とその発症時間と持続期間、患者属性から季節、地域・施設の特性という疫学的フィルターを通して、瞬時に数個のリストに絞り込んでしまう方法である。勘とは言っても、占い師やメンタリストのようにコンテキストに依存しており、タネも仕掛けもあるわけで、完全な第六感とは意味合いが違う。MECE的な方法とコンビニエントなメソッドは、お互いメリット、デメリットがあり、トレードオフの関係にあるので、実際には、これら極端の折衷法を用いて、暫定的な鑑別診断を作り、さらには、先の探偵の言にある通り、最終診断が鑑別診断外である可能性も担保しておくわけである。

このように、シャーロック・ホームズの物語には、criminalをclinicalに言い換えると、そのままパールとなるようなセリフが多く。臨床医の骨休みには、お勧めである。

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